ほとんどの人は一番辛いときに辞める。その先に待っている楽しさを知らずに。

2010年8月、愛知県名古屋市の名古屋観光ホテルで開かれた「UGMクロースアップマジックコンベンション」で、突如、現れた男性マジシャンが日本人最高位の地位をさらった。特にこうした大会に興味がなかったらしく、大会という表舞台に立ったのはこの一度きり。彼の姿をこの手の大会で見かけることはその後、まったくなかった。

それから3年。高級クラブが立ち並ぶ銀座7丁目の一角にひっそりとマジックバー「Bar V」がオープンした。マジックの中では最も至近距離で魅せるクロースアップマジックの卓越した技巧を前に、悲鳴にも近い感嘆の声が毎晩のように鳴り響く。誰しもがマジックにはタネがあると分かっている。だが、テレビでもなく、ステージでもない、まさに手の届く距離で繰り広げられる傑出したテクニックを前に、誰しもがきつねにつままれたような、しかし、どこか童心に戻ったような顔で家路に着く。

2010年大会で日本人最高位に輝き、Bar Vで夜な夜な華麗なテクニックを披露してはお客さんを沸かせているマジシャン、GO!さんはなぜ、大会という表舞台に一度顔を出したきり表舞台から姿を消したのか。その生き様を問う。

20歳の時にマジックの本場ロサンゼルスで修行、帰国後はプロマジシャンとして活動するGo!さん。現在は銀座でマジックバー「Bar V」で夜な夜なテクニックを披露している

技巧ではない、華こそがすべての世界

–2010年の大会で初出場し、日本人最高位に輝きながら、なぜその後、この手の大会に出場していないのでしょうか。

もともとこの手の大会自体に興味がありませんでした。お客さんに喜んでもらうためにマジシャンになっただけでしたから。周りの人に言われて、いやいや出たというのが正直なところです(笑)。

もともと自分がマジシャンとして一番だと思っていました。というより、プロとしてやるからにはそう思うべきだと思っていたんです。ただ、何の証拠もないので、周囲の声もあり一度だけ出ようと決めました。

ただ、コンテストで一番を取ったからといって仕事が増えるわけではありません。実際、コンテストでたくさんの賞を取っている方もいますが、実際に仕事に結びついているかというとそうでもない。となると、マジックが職業でなくてもいいということになります。根本的に目指す方向が違うんですね。どちらが正しいということではなく、同じマジシャンという職業でも目指す方向はさまざまだということです。

皆さんが思う「すごいマジシャン」はどういうイメージでしょうか。難しいテクニックを駆使したマジックを披露するマジシャンでしょうか。僕は違うんです。一番すごいマジックというのはお客さんが喜んでくれるマジックだと思っています。

正直に言えば、マジックのテクニックは誰でも練習したらうまくなります。下手でもいいんです、華さえあれば。マジックが多少うまくても華がない人はだめです。華がある人が練習したほうがぜったいに大成する。これは間違いない。

–華というのは努力して身につくものでしょうか。

人の注目を集めるためにマジックを覚えるような人には華がありません。そもそも周囲の人はマジックに感動しているだけであって、その人自身の魅力に感動しているわけではないからです。とりとめもない言い方ですが、華があるかないかというのは、生まれつきの部分もあるでしょう。

芸能界を見てみてください。イケメンや美人が全員、成功していますか? 華というのは見た目の問題ではありません。人を引き込む能力と言ってもいい。エンターテイメントの世界でプロとして仕事をしていくために最も必要なものです。マジシャンは人間的な魅力をいかに高めていくかを考えることを最も優先すべきで、マジックのテクニックというのは練習すれば勝手についてくるものと考えています。

目の前で披露される「クロースアップマジック」

本場のレベルを知り、挫折よりも挑戦心芽生える

–GO!さんはなぜマジックの世界を目指すことになったのでしょうか。

僕とマジックの出会いは9歳までさかのぼります。知り合いのおじさんがマジックを見せてくれて感動した記憶が今でも残っていますね。感動したけど、どうしてもトリックが分からなかった。悔しい思いをしながら本を買って調べ回ったのを覚えています。それから自分で練習しては友達に見せることを繰り返していました。

マジックはずっと趣味でやっていたに過ぎません。むしろ一生懸命だったのは野球です。小学校から高校生までずっと野球をやっていました。しかし、高校3年生のときに野球をしている最中に事故に遭ったんです。病院に運ばれてから3日間、目覚めませんでした。頭蓋骨陥没骨折に脳挫傷と、それはそれは大けがでした。退院した後、生活はがらりと変わりました。それまで割と成績が良かったんですが、まったく勉強に集中できなくなってしまったんです。脳波を整えるために毎日薬を飲まなくちゃいけないんですが、これがとても強い薬で副作用で睡魔に襲われてしまう。結局、勉強は諦めるほかありませんでした。

大学に入学して、何気なくテレビを見ていたら米カリフォルニア州のロサンゼルスにあるマジック専門の会員制クラブ「マジックキャッスル(The Magic Castle)」の特集番組を放映していました。それまでも日本のマジシャンをテレビで見かけることはありましたが、レベルがあまりにも違いすぎる。もしマジシャンになるなら、トップの人に学んだほうが手っ取り早いと思って、気がつけば、3日後に渡米していました。

–いち大学生が米国の会員制クラブに行って弟子入りを志願しようと?

僕は英語も話せませんでした。とにかく空港について「アイ・ウォントゥ・ゴー・トゥ・ハリウッド」「アイ・ハブ・ノー・ハウス」「アイ・ハブ・ノー・マネー」と繰り返し、なんとかロサンゼルスのダウンタウンにある安宿までたどり着けました。安い代わりに、それはそれは治安の悪い場所のホテルでしたが、管理人の人が少しだけ日本語を話せました。色々な国から夢を追いかける若者が集まるホテルで、その中には米国人のトレーナーに教わりたいっていうボクサーの日本人もいました。

1カ月の宿賃は300ドル。そこには共通のキッチンがあって、お米だけは食べ放題。最後の一口を食べた人が次の米を炊くルールになっていました。大きな共同の冷蔵庫もあって、みんな袋に自分の名前を書いて入れてるんですが、いつのまにか勝手に食べられていたりする。それくらいお金がない人たちが集まっていました。

マジックキャッスルに行ったのは到着して2日後です。ドレスコードが必要な会員制のクラブということは日本で調べて分かっていたので、スーツを着て出待ちして一流のマジシャンに教えを請おうと。

–アポ無しで。

会員制クラブなので、当然中にも入れませんでした。でも何日か通い詰めていると、そのうち「おい、今日もよく分からない日本人が来てるぞ」「どうやら、マジックの修行がしたいらしい」とマジシャン内でも噂になり出しまして……。

そんなときに、マジシャンのロバート・バクストさんという方が面倒を見てくれることになりました。彼はとても親切な人で、マジックの道具を買いに連れて行ってくれました。ただ、道具といってもマジックショップではなく、普通のDIYショップなんですよ(笑)。バケツを叩いてみて「そこにコインを落とせばこれだけ大きな音が鳴るから、大きな会場でも使えるぞ」などとアドバイスをくれたり、具体的なマジックを教えてもらったりしましたね。

その後、バクストさんにマジックキャッスルで活躍中の日本人マジシャン、緒川集人さんを紹介してもらいました。緒川さんからは僕のマジックの力量を見て、「キャッチボールしかできないやつが野球選手になりたいといっているようなもの」と言われました。とにかく練習はしなくていいと。その代わり世界一のショーをとにかく目に焼き付けろと、会員制のマジックキャッスルに顔パスで入れるようにしてくれました。毎日毎日、通い詰めては開店から閉店まで目を皿にして様々なマジックを見ましたね。

自分がマジックだと思っていたものと、目の前で繰り広げられている技巧のレベルがあまりにも違いすぎて、鳥肌が立つ毎日でした。緒川さんに指摘されたように、キャッチボールしかできないのにイチローと試合するようなものだったとこのとき初めて気づきました。

「キャッチボールしかできないのにイチローと試合するようなものだった」と単身渡米した20歳の頃を振り返るGo!さん

でも若かったんでしょうか。絶対無理だと思う半面、どこかやれるところまでやってみようと思う気持ちもわき起こったんです。同時に日本でのマジシャンの地位の低さも痛感しました。米国はエンターテイメントの国。マジックを見て涙を流す人もいれば、飲んでいるドリンクを放り出してスタンディングオベーションする人もいる。言葉ではうまく言い表せないのですが、一帯を包み込む空気感が違うんです。

本場のマジシャンのテクニックはけた違いに凄い。しかし、テクニックだけじゃない。マジックとはテクニックのことだと思っていた自分の価値観が壊れたのはこのときです。マジックというのはエンターテイメントなんだと気づきました。

日本に帰ってきて、どこか自分が人間的に大きくなった感じがしました。自分自身が怖いと思っていたものが怖くなくなり、とにかく挑戦しよう、とにかくがむしゃらにやろうと思いましたね。

サラリーマンからマジシャンへの転身

–では大学を卒業してそのままプロマジシャンの道へ?

大学を卒業した後、大阪出身だったため、大阪に本社のある住宅建材メーカーに就職しました。正直に言えば、仮面就職でした。もう、このときはマジシャンになろうと心に決めていたんです。でも、どうせマジシャンとしてやっていくなら、東京に行かねばとも思っていました。関東に支社のある会社を探していたんですね。

入社して関東支部に配属になると思っていたら、営業成績で優秀者4人しか転勤できないことが分かり、必死で仕事しました。ようやく念願叶って東京へ転勤となり、魔法招会というマジシャンの派遣企業に登録したんです。

月曜日から金曜日はサラリーマンで、土日だけマジックのアルバイトをする生活が始まりました。しかし、すぐに指名が入り、しかもそれが平日だったんです。マジシャンというのはプロの資格があるわけではありません。自分でプロと名乗れば、それでプロマジシャンという世界です。でもマジックで生活ができなければプロと言える資格はない。

悩みました。でも、初めて自分を指名してくれた人がいる。すぐに仕事を辞める決心をしました。それからの生活は大変でした。何とか食いつなぎながらマジックを披露する日々が続きました。

多くの人は辛い時期に辞める、その先に楽しさがあると知らずに

–プロとして自覚を持った後は順調だったんでしょうか。

もともと人に楽しんでほしいから、人に喜んでほしいからマジシャンになりました。ボランティアでマジックをして交通費を初めてもらったとき、嬉しかった記憶があります。でも今はプロとして自覚を持ち、「YOU」という弟子もいます。

時々保育園からマジックをしてほしいとオファーがあります。料金は2万円。でも僕は断らなければなりません。僕がいったん安い金額で受けてしまうと、弟子の仕事がなくなってしまうからです。けど、一方で、子供たちが見たいといっているのになぜ断っているんだろうと自分を責める気持ちもある。

go06葛藤ですね。プロとしてやっていくために、自分が本来したかったこと、本来自分が大事だと思っていたことができなくなる。

でも、今では自分の中で消化できるようになりました。ファイブエンターテイメントという会社を立ち上げたことによって、断るのではなく会社として引き受け、別のマジシャンが引き受けられるようになったからです。せいぜい僕がマジックを見せることができる人数は限られていますから。

でも、結局、大事なのは途中でやめないことだと思います。プロとしてやっていく人が楽しいと感じられるのは、稼げるようになってから。多くの人は稼げない辛い時代で諦めて辞めてしまう。僕だってマジックをしにいったらお酒をかけられたことがあります。信用していた人に裏切られてお金を取られたことだってあります。でも、辞めちゃだめなんです。必ず、いつかぐんと伸びるときが来る。辛いときに辞めてしまってはだめです。

僕は35歳までに店を持ちたいと思っていました。けど、結局32歳でお店を持つことができました。3年早く夢を実現しましたから、35歳までにもう一店お店を出したいと思っています。最終的には銀座で大きなショーのお店を持ちたい。もっとたくさんのお客さんに、もっとたくさんの感動を与えられる場所を作りたいんです。僕と関わった人が笑顔になるようにしたいですね。

両親の言葉がプロとしての矜恃を育んだ

–これまで来たお客さんで最も印象に残っている人は誰ですか。

両親です。今年、母の誕生日に初めて両親をお店に招待しました。

僕は貧乏な家で育ちました。父親がトラック運転手で、母親はパートに出る毎日でした。大学を卒業して就職してようやく親に恩返しができると思った矢先にたった1年で辞めてマジシャンの道を目指すことになってしまった。

あの時、父に伝えるのは怖かった。殴られるのを覚悟して父に会社を辞めることを伝えました。「何か嫌なことがあったんか?」と言われ、「いや、マジックが好きだからプロを目指そうと思ってる」と伝えると、意外な答えが返ってきました。

「やりたいことが見つかってよかったやんけ。お父さん、この年になってもしたいことがないわ。全力で挑戦せいや」と。それどころか、母親までも「私も父さんの意見に賛成よ」と言ってくれました。思い返せば自分がここまで育ってくる間、決して楽ではない生活なのに、一度も自分が何かをしようとして反対されたことはなかった。

さすがにあの時ばかりは涙が出ました。だからこそ自分はプロとして早く稼げるようにならなければと心に決めたんです。今、二人は僕の一番のファンであり、今でもテレビに出演したら必ず録画してくれています。感謝の気持ちでいっぱいです。

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