若者の酒離れに逆行!?「梅酒」大ブレイクの背景

a7bz2tsbyjqqp7e6ssgs33hau8z いま、梅王国・和歌山において、「梅酒」が希望の星となっている。

若い世代の酒離れが叫ばれ  るなか、梅酒市場は拡大している。20~30代の女性を中心に、消費が増加。梅酒の生産量は、2002年の約2000万リットルから2011年には約3900万リットルと伸び率が約2倍となり、拡大が続く。

ところが、梅酒用青梅の出荷は、同時期に約5900トンから約6400トン、伸び率は1.08パーセントと、ほぼ横ばい。梅酒の伸びに比例していないという珍事が起きていた。

これは酸味料や香料、着色料を使い梅の量を減らしたタイプの梅酒が増えていたからだ。一方、和歌山県内のメーカーが生産、販売している梅酒のほとんどは、梅と糖類、醸造アルコールのみを原料とする「本格梅酒」。どちらも、同じ「梅酒」の名前で流通していた。

和歌山県では、梅の需要拡大につなげるために、政府に梅酒の表示区分けを要請。この動きにあわせて、日本洋酒酒造組合では、昨年1月、酸味料、香料、着色料を使用しない梅酒に対して「本格梅酒」と表示できるという自主基準を制定した。

和歌山県ではこれを機に、青梅の需要拡大や、県産の梅酒の販売促進につなげるべく、「紀州の本格梅酒」のPRを行っている。

梅酒売上5年で25倍!?“斬新すぎる商品”で大ブレイク

県内でも梅酒に力を入れる企業が増え、梅酒とともに急成長を遂げたメーカーもある。海南市の酒類、梅果汁の製造販売等を扱う「中野BC」。県内でも屈指の梅酒の売り上げを誇り、2005年から2010年の5年間で、なんと梅酒部門の売り上げ25倍という業績を達成している。

中野BCは1932年、醤油の製造・販売からスタート。1961年からは日本酒醸造をメインに取り組み、2008年には「紀伊国屋文左衛門」が、ISC(International Sake Competeition)入賞をはじめ、数々の国内外のコンペティションで優秀な成績をおさめ、全国区のブランドとして成長を遂げていた。

しかし、次第に日本酒の消費が低迷するなか、日本酒事業への依存に危機感を持った三代目である社長・中野幸治さんは、自社の事業拡大に向けて梅酒に着目した。

梅酒の製造自体は1979年からスタートしており、その後、梅農家をバックアップするべく、南高梅を使った梅酒造りをはじめたが、王道の梅酒とともに、新たなジャンルの梅酒を開発していた。それが「カクテル梅酒」である。

「和歌山では、梅酒は『自宅で作るもの』で、わざわざ買うものではありませんでした。だから、家庭ではできない味わいの商品が必要だったのです」(中野さん)

色と味に種類などなかった梅酒に、ほかの素材を加えるという、当時としてはかなり斬新な商品を作り上げてしまったのだ。

健康面における付加価値もプラスするべく、赤紫蘇を加えた「赤い梅酒」、はちみつを加えた「蜂蜜梅酒」が完成。赤と黄色があるなら緑もプラスして「三色梅酒」として販売しようと、試行錯誤のうえ緑の梅酒が完成。「緑茶梅酒」である。

しかし時代が早すぎた。

「得意先からは『なんで、梅酒に緑茶混ぜてんねん!』という反応。微々たる売り上げのまま、なんとなく存続していました」(中野さん)

そんな三色梅酒に転機が訪れる。

2003年頃から、にわかに梅酒が注目されはじめたのだ。健康にいい、アルコールが苦手な人にも口あたりがいいと若い女性を中心に人気を集め、梅酒ブームが到来。梅酒の売り上げが次第に伸び始め、かの緑茶梅酒も人気商品にのし上がった。

中野さんは、「世の中の健康志向からこの先、梅酒の時代が来るのではないか」と考えた。

「和歌山の企業であるからには、地元ならではの素材である梅を扱った商品で地域に貢献したいという思いもありました」(中野さん)

かくして、日本酒から梅酒へと事業の軸足を移すべく、中野さんの改革がはじまった。

20代女性でマーケ部を立ち上げ!「野菜ジュース入り」梅酒も誕生

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大学卒業後、宝酒造に勤務していた中野さんは、家業において「市場ニーズにあった商品づくりができていない」と感じていた。そのためにまず行ったのは、社内における組織体制の一新だ。

梅酒人気を支えるのは若い女性。ところが商品開発にあたっていたのは、中野さん曰く「50代以上のおじさんばかり(笑)。女性の好みなどわかるはずがありません」。

そもそも社内には製造部門と営業部門しかなかったため、マーケティング部を立ち上げた。部員は、ほぼ20代女性で構成。味付け、ラベル、パッケージ、デザインなどについて「女性目線」の意見を最大限反映させるようにした。

重点的に商品開発を進めたのが、売れ行きを伸ばしていた「カクテル梅酒」。従来の三色梅酒からバリエーションを増やしていった。

「それまでは食前酒として使われがちだった梅酒ですが、甘さを控えめにしたカクテル梅酒なら、食中酒として楽しめると考えました」(中野さん)

女性社員がメインとなって続々と新たなカクテル梅酒を完成させた。とにかく、そのラインナップはすさまじい。ゆず、レモン、シークワサー、いちご、ライム&ジンジャー、山椒から、「人参・セロリ・キャベツ・ほうれん草・レタス・クレソン・パセリ・レモン」いわば「野菜ジュース」入り梅酒も!

「新商品を開発するうえで、既成概念にとわれない頭の柔軟さが大切です。可能性はどこにあるかわかりませんから、アイデアは否定しません」と中野さん。和歌山らしいものをと特産の「イセエビ」「や「クエ」で試作したこともあるという。

女子力はネーミングやパッケージ、コンセプトにも存分に発揮されている。

ピューレ状にしたブルーベリー入りの梅酒の商品名は「MYLTILLE」。ボトルもパッケージも、梅酒が持つ「和」のイメージが払拭され、ワインのようだ。癒しと美容がコンセプトの「アロマ梅酒」は、ラベンダーとクランベリー入りや、ローズヒップとラズベリー入り。

女子力全開のワクワクがつまった色とりどり、味とりどりの、おしゃれな梅酒はヒットを連発した。

日本唯一の「梅酒杜氏」と梅酒ヌーボーで売上は10億円に拡大!

m_103中野BCで製造している梅酒は、もちろん単なる変り種ばかりというわけではなく、本物志向の徹底追求にも余念がない。南高梅のなかでも、希少価値の高い「紅南高梅」を使い、梅の育て方、収穫時期、選別からはじまって、熟成期間などにこだわり尽くした梅酒「紅南高」は、日本最大の梅酒コンテスト「天満天神梅酒コンテスト」でグランプリに輝いている。

収穫から果実の取り出しまで指揮をとったのは製造部長の山本佳昭さん。日本で唯一「梅酒杜氏」の肩書きをもつ。「梅酒杜氏」と命名したのは、中野さんだ。

「日本酒の世界では、造り手である杜氏が崇拝されるのに、梅酒では造り手の姿が見えない。『梅酒杜氏』とを名乗り、前に出ていくことによって、消費者の方に梅酒についての知識を増やしてほしかったのです」(中野さん)

その意を受けて、山本さんは日本中を行脚する。イベントで梅酒について語り、梅酒漬け込みセミナーを自社の蔵、都内のホテルやレストラン、はてはキャンプ場で、レクチャーすることもある。

また同社では「梅酒の新たな楽しみ方」として「梅酒ヌーボー」の提案も積極的に行っている。

梅酒は通常、収穫時期である6月に仕込み、11月下旬から12月ごろに梅の実を取り出したのち、さらに半年以上タンクで熟成させる。

「日本酒は新酒、ワインもボジョレーヌーヴォーがあるのに梅酒はスタートがない。時系列がはっきりすることによって、商品としてトータルブランディングができる」と、中野さんは考えた。

そこで果実を取り出した「漬け込み半年」のものを瓶詰めし、「梅酒ヌーボー」として商品化したのだ。新酒の時期には、「梅酒ヌーボー」イベントを開く。「熟成前だからこそのフレッシュな味わいが楽しめます。そして毎年、梅の実の生育状況によって、梅酒の味も異なります」と山本さん。かくして中野BCの売上高は約30億円のうち、梅酒部門の売り上げは10億円にまで成長。全社売上の5割を梅果汁なども含めた梅関連事業が占める。

中国、東南アジア、フランスで大人気「梅酒は世界中で飲みやすいお酒」

和食のユネスコ無形文化遺産登録以降、日本酒が海外において注目を浴びているように、梅酒にも注目が集まっていた。当然、梅酒業界では海外市場でのさらなる需要拡大を目指している。

中野BCでは輸出を強化し、現在25ヵ国に出荷。デザートワインのように甘いワインを楽しむEU圏では、梅酒をリキュールとして受け入れやすいようで、フランスでは「紅南高」が約8000円という価格にもかかわらず好評だという。

「インバウンドとしてのニーズも期待できる」と語るのは、田辺市・中田食品営業部企画開発課の小串慎一さん。主力の梅干しだけではなく、梅酒に力を入れる同社本社工場敷地内にある直営売店は、海外からの観光客も多く訪れる。「中国、東南アジアのお客さまに梅酒が『おいしい』と大好評です」と小串さん。しかも、贈答用として1万円近くする高価格帯の商品が売れるという。

「宗教的にお酒を飲みなれていない国の方々にも、梅酒は甘くて飲みやすいらしいです」と小串さん。タイからの団体客が、梅酒をお土産に購入。宿泊したホテルの宴会で、ビールや焼酎があまり口にあわず、かわりにお土産を全部飲みほしてしまい、慌てて買いに来たという話もあるくらいだ。

「たぶん梅酒は世界中でもっとも飲みやすいお酒なんじゃないかと思います」(小串さん)

梅干しよりハードルが低く、世界各地で受け入れられる梅酒。なかでももっとも可能性が高いと梅酒業界が注目するのは「中国」で、とくに「香港」だという。そもそも中国では「梅の砂糖漬け」がお菓子としてポピュラーなため、梅に親しみがある。また、国内の梅酒製造において圧倒的なシェアを誇る、大阪府・羽曳野市「チョーヤ梅酒」が大々的に香港でPR・営業活動を行い、梅酒がスーパーやコンビニの定番商品となっていた。「梅酒といえば『チョーヤ』」というほど認識されていたのだ。

そして、梅酒だけではなく、いま香港で、「梅の実そのもの」がブレイクしはじめていた。

“梅酒を自宅で作る”という文化ごと香港へ輸出

11391180_866881676717048_3160979386447569743_n2013年、和歌山県では収穫中盤からの高温多雨という、異常気象により梅が過去に経験のない大豊作を迎え、出荷想定を大幅にオーバー。一大産地である田辺市・JA紀南では喜ぶどころか、頭を抱えてしまった。

売り先がない!

梅は生で食べるわけにはいかない、アシの早い特殊な果実。少子高齢化の中、梅干しの需要は年々下がり、家庭で梅酒を作る風習も少なくなり、梅の消費量は右肩下がり。過剰供給は値崩れを引き起こしていた。

「新たな販路が開拓できないものかと模索しているところに、香港バイヤーからの青梅輸出の打診があり、トライすることになりました」と語るのは、加工部部長の榎本義人さん。

まずはテスト輸送のために、百貨店での販売が企画された。とはいえ香港の人々は、梅酒のことを知っていても、「梅酒を漬ける」というカルチャーはまったくない。

「梅酒ブームが起きている香港に青梅を届けて、『梅酒は自分たちでも作れる』という世界を演出できないかと考えました」(榎本さん)

つまり、「梅酒を漬ける」という日本の食文化そのものを輸出することにしたのだ。

かくして、百貨店に青梅を搬入し、店頭梅酒の漬け込みを実演し、試飲をしながら販売したところ、大好評。手ごたえを感じた榎本さん。しかし、問題があった。「言葉の壁」である。

もっと梅の文化を知ってもらうこと、そして商談会で取引を成功させるためには、英語で梅を説明できる人材を、とJA紀南では初の「海外営業担当」を採用。

白羽の矢が立った下岡美穂さんは海外の留学経験があり、英語が堪能。帰国後も海外向けの仕事に従事していた。

田辺市出身とはいえ、梅の知識はそれほどあるわけではなかった。地域を盛り上げるためにもと梅の歴史、品種や加工技術まで「毎日、猛勉強」(下岡さん)。2015年、梅の旬である5月下旬~6月にかけて、2度目となる青梅の実演販売を行うべく香港へ向かった。

販売先は、富裕層の多い百貨店「YATA」。

青梅の甘い香りに誘われてやってきた買い物客は、たいてい「『梅?は?なにそれ?』というリアクションです(笑)」と下岡さん。梅酒は知っていても「青梅そのもの」は見たことがない、という人がほとんどだという。

「このまま食べられるの?と聞かれますね」

そこからは猛勉強の成果を発揮である。英語に訳したパンフレットを見せながら「梅とは日本独特の果物で、和歌山県というところにあって、400年前は薬として使われていて健康にもいいし、美容にもいいんです」とイチから説明した上で「青梅で梅酒が作れる」という話をすると「ああ、『梅酒ってあのチョーヤの?』と言われます(笑)」。

もちろんのこと「そうです!あの梅酒が造れるんです」とすかさずトーク。当然のごとく、自分で梅酒を漬けた経験があるひとはほとんどいない。店頭に用意した梅が漬け込まれた梅酒の瓶を見せながら、説明。お酒を使わない梅シロップの瓶も用意。

「水やソーダ、牛乳で割ってジュースにして飲めますよと説明して、同時に試飲してもらいます」(下岡さん)

味は大好評。「おいしい!梅シロップも子どもに飲ませたい!ぜひチャレンジしてみたい」と言って買っていくという。

次第に梅コーナーは人だかり。我も我もと青梅を抱え、店頭にスタンバイした漬け込み用の瓶、砂糖、焼酎の「梅酒一式セット」を購入していくお客であふれかえった。持参した梅ゼリーや梅の実も大人気。たしかに、当日の写真を見せてもらうと「たんなる特売品のセール」にしか見えないくらいだ。

しかし特売品どころか青梅の価格は日本の2倍!それにもかかわらず持っていった約5トンは完売。

「日本のものは安心安全という認識が高いのか、飛ぶように売れました」(下岡さん)

今年も、6月、梅の生産者とともに香港で実演販売を実施。YATA以外にも高級スーパーでの店舗数を拡大し、持参した約13トンはまたまた完売である。

「店の担当者から来年はもっともっと持ってきてくれー、3倍でも4倍でも持ってきてくれー」と言われました(笑)」と下岡さんはその成果を笑顔で語る。

香港での好評を受けて、シンガポール、タイでの実演販売もスタートした。商談会にも積極的に参加する。海外へはばたく和歌山の梅。

「今後の夢は、和歌山の梅の『全世界制覇』です」と榎本さん。

「たとえばカレーだって、インドから日本にやってきて、『インド人じゃあるまいし』というほど食べるようになりましたよね(笑)。日本の食文化が注目されるいま、頑張れば、梅もその土地に合った根付き方をするんじゃないかと思うんです」(榎本さん)

下岡さんも言う。

「プラムじゃなくて日本の、和歌山の『UME』として、広げていきたいです」

ふたりが声をそろえた。

「世界を目指せ、ゆー、えむ、いー!」

日本の食を「味わう」だけではなく、「食文化としての楽しみ方」も売り込む。和歌山の梅は、日本のカルチャーとして世界に進出する、新たな可能性を秘めたメイド・イン・ジャパンの「お宝フルーツ」かもしれない。

★取材ご協力中野BChttp://www.nakano-group.co.jp/

中田食品http://www.nakatafoods.co.jp/

JA紀南http://www.ja-kinan.or.jp/

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